電車が揺れる。がたごとと。
 体の奥にリズムが響く。がたごとがたごと、がっとんとん。
 朝の景色はいそがしく、電車に合わせて移りゆく。
 いつもの朝よ、ここまでは。けれどもここから。ここからは――。
 学校の最寄り駅に着くまであと数駅ほどのところで、わたしは異変に気付いた。無情に流れてゆく景色から目を逸らして、離して、目をつむる。心地良いはずの振動音は、このときに限っては体の奥でわだかまり、どぶ川のどぶのようになっていた。ぐるぐると暗闇が廻る。無慈悲な、異変。
 ――腹いたい……。
 やばいやばいこれはやばい。眉間にちからを込める。冷や汗が出ているのが分かった。突如として訪れた災厄。悪夢。いや夢ではない。電車が揺れる。さわがしいひとたち。うるさいまじ黙れ。だめだだめだ思考力のてーか。余裕が。どこへ。行かないで。こりゃだめだ。不肖わたし、私立挽磨高等学校一年生、ただいま滅茶苦茶腹痛大ピンチ。なう。
 電車が止まると、たまらず途中下車した。小走りで階段に向かい、トイレに駆け込む。もうすぐ。もうすぐ。頭のなかがシナプスが脳細胞がたったひとつの目的に向かって一致団結していた。がんばれ。がんばれわたし……!
 ……。…………。
 間に合った。セーフ。ギリギリセーフ。危ないところだった。しかしわたしは、その苦難を、突然の異変を、見事打ち勝つことができた。よっしゃ。
 ホッと息をついて、手を洗う。若干、顔から血色が抜け落ちたような気がする。気のせいだろうか。ともあれよく耐えたものだと思う。高校生活が始まってから、はや二ヶ月が経つが、こんな事態はいままで経験したことがなかった。
 つーか、一日の物語のはじまりが、腹痛だなんて……。あ、いや、これはわたしの癖だ。悪い癖なのかどうか、よく分からないけれど、良い癖ではない。メタフィクション。たまに意識してしまう、俯瞰される自分。もしかしてわたしの体は、思考は、行動は、なにものかの作ったものなのではないかと考えてしまう。いつからかそんな癖がついていた。
 いつからだろう。
 いつでもいいや。
 トイレを出たら。
 すべてがとまる。口をおさえる。視界がかすむ。喧騒がきえて。
 目の前に広がる水たまり。赤い水たまり。その中心に島さえなければ、わたしは、それを単なる赤い水たまりとしか認識しなかっただろう。けれど。そこには確かに島が横たわっていた。ふちどるように。こわれるように。こわれた体。血が、でてる。
 女子高生は見た。とか安易なタイトルロゴが飛び出たなら、まだ救いはあったかもしれない。口をおさえたまま、真っ白になった頭のなかで、考えずに、考える。考えるまでもなく眼前の男は息をせずに目を見開いて電灯に照らされていて、それだけなら良かったんだけど、ああいつになったら駅員さんがやってくるのだろうとか考えていられたならそれでよかったんだけど。
 わたしは関わってしまった。そう自覚したその時点で、ああメタフィクション、わたしはそこにはいなかった。
 気付けばそこはまっさらな。
 空間、ゆがんだ、亜空間。
 死体もトイレもどこかへ消えて。
 空間、ゆがんだ、夢のなか。
 さあさあ皆様お立会い。ぴーひゃらりーと笛が鳴る。
「裏」に向かわばむなしき夢よ。
 わたし物語、はじまり、はじまり。